危篤
結果として、会えてよかった
入院している母も合わせる事ができた(強行だったが)コロナ禍で、会わずに最期を迎える方はとても多いから
たとえどんな状態でも、生きている、うちに会っておきたかったから
とても強い人で、私はとても尊敬している
私の母が所謂毒親で精神病でネグレクトで、その代わりにとても世話をしてくれた
小さい時に夜中におぶって走って、救急外来に連れていってもらった記憶がずっとある
奇しくも、その病院で(私はまだ受け入れていないが)息を引き取ろうとしている
病室から見える景色に、私は安堵した
幼い頃に見た、その景色に
本当は自分の住処で迎えたいのかもしれない
何が最善なのか分からない
でも、全然知らない景色の中でなくてよかったと思ったし、私もそうなりたいと思った
コロナ禍で滞在時間も限られ、面会すら出来ない人も大勢いる
そんな中会えてよかったし、感謝している
でも、お別れは言いたくない
だから何を話したらいいかわからなかった
(意識はないけれど)
ただ、自分がコロナにかからなければ、もっと会えていたのでは?という「もしも」の気持ちが痛くて堪らないと同時に、コロナが憎い
コロナに罹患させたら、と想いで会いたいのに、会えなくて
日本中、世界中が皆我慢していて……
お年寄りや、身体が健やかでない方にとって、1年、2年を無事に過ごす…ということが如何に難しいか考えさせられた
1ヶ月、2ヶ月で、1週間、1日で、話せなくなり、食べれなくなり、疎通出来なくなり…
生活源も奪われ、楽しみも頓挫し、大切な家族との時間も失った
その意味がなぜ伝わらないのか、日本の偉い人たちは何をおもっているのか……
全くもって想像出来ない